奈良の大仏の大きさ 8世紀造立の大仏像は全て人の手作業で

投稿日:2018年10月21日 更新日:




奈良の大仏の大きさを想う時、真っ先に思い浮かべるのは、聖武天皇のこと。

身長が14.98mもある奈良の大仏、そんな大きさを最初に企画するのはもう常識はずれの行動。

当時は8世紀、特別便利な道具もない中で14.98mもの大きさの大仏を造れと命じるなんて。

途方もないムリなんだ、全てが手作業、人力で賄うのだから、その作業量と費用ときたら、物凄いこと。

1,300年前からこの大きさで、奈良大仏は大仏殿に鎮座しているのですよ!

僕たちが今、修学旅行や大人の遠足で奈良公園を訪れ、
ふーん、どうせ奈良の大仏だって大きな工場で機械がポンポン造ってくれるのだろう
って考えたとしたら、大きな間違い。

8世紀の奈良大仏造立当時、発案者の聖武天皇は民衆から責められている。
奈良大仏の造立命令が、財政を圧迫し、民衆に無駄な労働を強いている、と。

ちょうどその頃には大きな疫病が流行し、大小様々な内戦に民衆は苦しめられていた。

聖武天皇はそんな時だからこそ、民衆を救済したいという思いを込めて奈良の大仏を造ったのだろうが、
民衆は先じゃなくて今を救って欲しい、と思うのも当然のこと。

全国の国分寺のトップを東大寺にして、全ての苦しみから解き放ってくれる存在を造る、
それは聖武天皇なりに必死な願いを込めたのが奈良大仏、だからあの大きさになったのだろうが、
評価されたのはずっと後のこと、造った当時としては無駄な公共工事。

奈良大仏の大きさ14.98mには、聖武天皇の切実な想いが詰まっている
大仏殿を訪れるとき、君もそんなことを思い浮かべながら歩いて欲しい。

遠い昔の遺産、造った当時の判断は正しいか分からないが、
その遺産を1,300年守ってきた日本人の心は美しいものだから。

奈良大仏写真

今日は東大寺大仏殿で、奈良の大仏開眼式に行ってきた。
西暦752年4月9日のこと、忘れられない記憶だからこうして日記に残しておこう。
奈良の大仏の大きさには「驚き」以外の言葉が見当たらないよ。

身長15mの仏像を造り上げた仏師たちの仕事振りに無数の拍手を送っておいた。
お披露目された奈良の大仏は、全身に黄金色をまとい、極楽浄土を体現していたんだ。
きっと1,000年後には色が落ちていることだろうが、新品の奈良の大仏はゴールドに輝いていた。

奈良の大仏開眼セレモニーも、ぶっ飛んだイベントだった。
何しろ全国から1万人もの僧たちが集まったのだから。
東大寺大仏殿の横幅が凄かった、1,000年後には焼失等で間口の横幅が2/3程度に縮小されると予想するが、
創建したばかりの東大寺大仏殿は、どの城郭よりも立派で、美しく、ありがたいもの。
それもこれも聖武天皇の絶対権限によるものだ、こんな建造物は後にも先にも数多くはない。

他に比を見ない大きさの奈良の大仏、本当にこれで全国に平和と豊作が訪れるような気になった。
超高層タワーマンションとか、等身大ガンダムとかがない時代に造られた奈良の大仏。
その大きさは時代の最先端、先進国である中国にもない驚異の技術。
5丈3尺5寸=16メートル、という奈良の大仏の大きさ、その大仏開眼セレモニーの日記だよ。

奈良の大仏

明智光秀と島左近が奈良の大仏とすれ違っていた事実、想像だけでも歴史ファンの血が疼く。
伝説たちの遭遇、ただし決してキレイな状況で対峙したわけではない。
戦国時代、織田信長が桶狭間の戦いで勝利を収めた7年後の1567年のこと。

松永・三好の争い、俗称・東大寺大仏殿の戦い(許されないネーミングだ!)の兵火で、
東大寺大仏殿に加えて、奈良の大仏の仏頭が焼失している。
信長に仕官する前の浪人時代に明智光秀が東大寺を訪れていたかは不明だが、
近畿一帯を攻略する全権を任された近畿管領を務めた役柄、
明智光秀は大仏殿がなく野ざらしになった焼失後の奈良の大仏を見たはず。

近畿一帯を攻略する全権を任された近畿管領を務めた役柄、彼は京の文化に通じた文化人の顔もある。
750年もの間、大和の寺社が守り続けてきた伝統を戦火で灰塵にしてしまった時代。
奈良の大仏の大きさの意味ですら、醜い利権争奪戦の前には価値を無くす。
だから明智光秀と奈良の大仏の大きさが交差した瞬間に美しい場面がない。
雨ざらしになり、仏頭を失った奈良の大仏を見上げて、明智光秀は感銘よりは無常を想ったことだろう。
平和を願い奈良の大仏を造立した聖武天皇の理想が、人災によって潰えた形。
明智光秀もまた、東大寺大仏殿の戦いの15年後には、戦によって命を落としている。

平和で幸せな現代人が見る奈良の大仏は、派手と明るさだけに満ちているようにも思える。
実体は、そんな歴史のページを幾つも経ている奈良の大仏だ、清濁を併せ持っている。
もうひとつのイメージを想い浮かべよう。
戦国時代、大和国の武将たちが東大寺・奈良の大仏の前で物思いにふける絵。
出陣の前、大きな決断の分かれ道に、奈良の大仏に助言を求め、ついつい訪れてしまうとか。

大和の有名な武将とは? 島左近、その御仁しかあるまい。
筒井順慶が大和国統一をした過程で、その右腕として戦術を請け負った希代の猛将だ。
島左近と奈良の大仏の遭遇、これも考えるだけでも歴史ロマンでウズウズしてくる。

しかしそんな空想は現実のものではない。
東大寺大仏殿での戦火は島左近27歳のとき、それから奈良の大仏は焼失で仏頭がない
大和国で生まれ育った者にとっては重い存在、奈良の大仏。
その大きさに包まれ、島左近は育ってきたはずなのに。
戦場へ赴く前夜、東大寺大仏殿に島左近が歩いてくる。
共も連れずただ一人、半分失った奈良の大仏の姿を見上げながら一人思いに耽る。

そんなシーンを想うたび、涙が出るような美しさを感じ、奈良の大仏の大きさを知る。
夢幻だったようだ、そんな島左近と奈良の大仏の共演は。
奈良の大仏の頭部や、大仏殿そのものが焼け落ちてしまった後、島左近は何を思ったのか。
これも大きいお話、奈良の大仏の大きさを痛感するような場面ではなかろうか

東大寺の大仏

東大寺の大仏の大きさを復活させることが、筒井順慶の果たせなかった願いではないか。
大和の地に生まれ、2才で筒井家の当主となり、36才で早逝した筒井順慶の夢を紐解くと、
東大寺の大仏の大きさを自分の時代に縮めてしまったことを悔しがっていたのだと、一方的に想像してしまうのだ。
奈良と言えば東大寺、東大寺と言えば大仏様、大和の国のみならず全国の老若男女みなが
知っている古からの宝物、各地の国分寺の中心、聖武天皇の祈りが込められた大仏像。
生きるために、松永弾正との長く続いた戦をやり切り、なんとか筒井家が大和一国を統一できた。

その代償は大きなもので、とりわけ三好衆と共に松永勢と戦った東大寺の戦においては、
東大寺の幾つかの院を焼失させてしまい、南大門で鉄砲を撃ち合い、
大仏殿を燃やし、あの東大寺大仏の頭部を失くすような戦にしてしまった。
頭部だけで6mもある東大寺大仏だから、
もともと15mあった身長を、9mにまで短くしてしまったのは、筒井順慶も加担した戦が切っ掛け。
それもこれも、悪役・松永弾正を倒し、奈良の地を自分の掌中するまでのこと。

お寺の文化に精通し、大和を愛する筒井順慶は、大和国内を安定させた後に、東大寺大仏の大きさはもちろん、
続いた戦で失われた東大寺などの文化を復活させる心づもりを持っていたに違いない。
しかし時代は、織田信長の勢力拡大に伴い、筒井順慶にも各地へ出陣するように命令が下り、
思うように大和国内の文化回復に時間もお金も費やすことができなかった。
そんな中、病に倒れた筒井順慶は、そのまま息を引き取ってしまう。
島左近や高山右近のような良い将が側近にいてくれたのには、筒井順慶自身に何か魅力があってのことで、
それが奈良の文化を重んじる筒井順慶の姿勢だったのだと、私は信じたい気持ちでいっぱい。
東大寺の大仏の大きさを復活できなかったことが、筒井順慶の果たせなかった夢?

奈良の大仏の身長

奈良の大仏の身長に、あなたは直感的に何を思うのでしょう?
東大寺を訪れる大人は割と冷静で、あまり感動や驚きの言葉を出さない。
でも、あの奈良の大仏の大きさを目の前にした時は、どんな人だって大きさにびっくりして、
驚嘆の言葉をあげたいはずなのに、大仏への畏敬の念があるから声を出すのを遠慮しているのかな。

奈良の大仏は身長15m、体重250トンもあるよ、一体東京ドーム何個分?山手線何周分?
奈良の大仏を造った聖武天皇は、この身長に絶対の自信を持っていたはず。
誰もが声をあげて驚き、魂を飛ばしてしまい、奈良の大仏の身長、ありがたさにひれ伏すはず。
そこには身分も職業も文化も、時代ですら関係がなく、人なら誰もに共通する仕掛け。

千三百年の時の流れの前には、そのコンセプトも風化するのか?と思いきや、
私はとある場面で、奈良の大仏の身長が、現代人の心にも強いインパクトを与えるのを見た。
奈良の大仏を訪れる修学旅行生たち。

奈良駅からの道や奈良公園で見かける彼ら彼女らは、いっつも楽しそうに騒いでいて、
一番の興味は神鹿と鹿せんべいだから、動物園気分で奈良に来ているんだ、と軽く思っていた。
ところが、東大寺の本堂間際まで来て、あの奈良の大仏の身長を
自分の目で確認した瞬間は、みんなが一様にその大きさに口を開けて驚いている。
あぁ、その反応が奈良の大仏の身長を、物語っているよ!

きっと千三百年前の大仏開眼式の時も、それから永らく続いてきた東大寺を訪れる人々の反応も、
この修学旅行生と変わらないものだったのでしょう。
つまりは人間の本性が修学旅行生たちの素直な表情に出ているのだと私は決めつけた。
なんて大きな大仏なのだ!

仏教のこと、仏像のルールは分からずとも、万人に伝わるものがあるから、
奈良の大仏は大きさで勝負しているんだ。
時代を超えて、年代・性別・嗜好さらには国籍だってお構いなしに、
奈良の大仏の身長は、人間なら誰にでも、そのありがたさを伝えられる。
私はあなたが奈良の大仏を見た時、どんな反応をするか想像する。
新しい反応?いいえ、直感は誰も裏切らないよ。

奈良の大仏の重さって?

 

奈良の大仏の重さが、奈良の仏教美術の豊富さを象徴しているんだよ。
250トンという奈良の大仏の重さはダテじゃない
その質量の多寡で量れないほどの素晴らしさを、東大寺の奈良の大仏は背負っているから。

キミが、奈良の大仏の重さを調べているのは何故かなぁ?
修学旅行で奈良に行って、奈良の大仏を目にして、
あのインパクトの正体を調べようと、ネットサーフィンして奈良の大仏の重さを調べているの?
現地現物で感じた奈良の大仏の重さは本物。
あの東大寺宝物殿に秘蔵されている宝物の重みが、あの奈良の大仏のサイズなのだよ。

どれだけの国宝が、重要文化財が、奈良の東大寺にあるのだろう。
日本の宝物、聖徳太子から続く飛鳥文化の延長線上、1300年間もの時間を、
何十代にもわたって奈良の文化財を守り続けた人たちがいるんだよ。
キミが見て驚いた奈良の大仏、その重さは、奈良中のお寺にある文化財や
文化そのものを守り続けてきた、奈良の人たちの仕事の重さなんだよ
そういう風に研修レポートに書けば、きっと最高最良のアンサーになるんじゃないかな。
奈良の大仏だって、一人だけでは、あんなずんぐりどっしりと座っていられないよ。
サポートしてくれる人たちがいるからこそ、悠久の重みを湛えて鎮座できるのだから。

キミのパパだって、昔はスマートだったのに、今じゃお腹でもでちゃって、体重倍増。
でもそれって悲しいことだけじゃなくない?
ママが美味しいごはんをつくってくれたり、キミと遊ぶ時間とか、家族みんなでも旅行とか、
幸せが幸せを呼んで、それでついつい食べ過ぎとか飲み過ぎとかで、体重が増えているはずなんだよ。

奈良の大仏の重さも、キミのパパの重さも同じ?
周囲の支えがあり、幸せ太りして立派な数字になったのが奈良の大仏の重さだから、そのことは忘れられないよね。

 

「奈良の大仏の大きさ を調べなさい」という夏休みの宿題に取りかかろうとしている僕。

像の高さ(座高)はメートルで14.98、フィートにすると48.91。
・・・もう終わってしまったの? 
こんなのでいいの??

付加価値をちょっとは付けなくては、と焦る僕は蛇足を書いてしまう。



牛久の大仏の大きさは 120メートル、奈良の大仏の方が0.12倍大きい計算になる。

鎌倉の大仏の大きさは11.3メートル、奈良の大仏の方が 1.3倍大きい計算になる。

東京の大仏の大きさは8.30メートル、奈良の大仏の方が 1.8倍大きい計算になる。

高岡の大仏の大きさは7.43メートル、奈良の大仏の方が 2.0倍大きい計算になる。



どーだ、これこそ日本のベスト大仏たちとの比較、大きさって大事♪

レポートを書き上げ、ひとしきり頑張った気になっていた僕。

ふと、大仏の視線の先を眺めていると、別の想いが心の奥底から湧き上がってくるのを覚えた。

「奈良の大仏の大きさ、それってただ背の高さ・身長・長さを測れば良いのだっけ?」
なんかもっと深いことがありそうだな、直感が次の行き先を示していた。

直球を直球だけとして捉えて何になるだろう、奈良の大仏の大きさ の意味とは別の場所にあるのだ。


何故、奈良の大仏は、あんなに大きく造られたの? 何故、奈良の大仏は、あんな大きさを維持したまま1,250年以上、東大寺に存在し続けているの? 
何故、僕たちの先祖様たちは、奈良の大仏を維持保守し続けて21世紀に至るの?


数値ではなく、そういう感情・感性の長い流れが、奈良の大仏の大きさ の裏にある。

どうやらこっちの方にこそ宿題の真意があると感じたよ、
僕の夏休みの宿題はやり直しってことか。

奈良の大仏の大きさを調べようとは、あなたも好奇心のお強い方。

物質的な奈良の大仏の大きさ なら、お伝えするのは簡単。

大きさ(身長)14.98m、重さ(体重)250t。
鼻の穴の大きさが30cm、頭のパンチパーマのボコボコひとつひとつも30cm。


あなたが聞きたいのは、こういう表面上の、数値化された奈良の大仏の大きさでしょう?

せっかくだから、別の角度から奈良の大仏の大きさ に触れてみようよ。

全国の修学旅行生が訪れる人数は、京都に次いで奈良が二番目に多い。

これはひとえに、奈良の大仏を見ようとしてのこと。


奈良公園の東大寺は修学旅行生の大人気スポット、

普段は神社仏閣に興味関心を覚えない少年少女も、

奈良公園の鹿さんに鹿せんべいをあげて、楽しそうに笑っている光景が見れる。

修学旅行生だけじゃなく、奈良・東大寺には大人の観光客がいっぱい。

奈良のホテルは国内外の観光客で混んでおり、その経済効果たるものは計り知れない。

多くの観光収入と関連する雇用を発生させ、奈良の経済活動に好影響を及ぼしている。

もしも、奈良の大仏が鎮座していなかったら、この人の流れは奈良に向かっているの?

そういう面での奈良の大仏の大きさって伝わるかなぁ?



奈良の大仏の大きさは目に見えるサイズだけじゃなく、存在自体の大きさ。

そんなことを想いながら、奈良の大仏に逢いに東大寺南大門から続く参道を歩いて行こう。

先人たちが引き継いできた文化の粋、今も昔も奈良を経済的に護ってくれる。

きっと14.98cmの身長だけじゃなく、もっと他のところに本当の大きさがある大仏だって気付くはず。

仏像に興味がない修学旅行生たちも、奈良の大仏の大きさ を目にしたら理屈なしに誰もがびっくり!

大きいことは誰にでも伝わるシンプルかつクリティカルなメッセージ。

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